
セゴビアに行くのは、実はこのときが三度目。
初めては、1990年代の半ばに、マドリードに出張したときだから、かれこれ、もう20年以上も前のことになる。
「子豚の丸焼きが食べたい」、という上司のわがままに誘惑され、レストランを探す。
子豚の丸焼き、スペイン語では、コチニージョ・アサード。
カスティジャーナ地方の名物料理だけど、それまで食べたことがなかった。
現地のスタッフに聞くと、「本場のセゴビアに行け」、という。
そこで、車を走らせ、教えられたコチニージョ・アサードの専門店に行くことにする。

残念ながら、このときの写真もなく、お店の名前もはっきり覚えていない。
だけど、初めて食べたコチニージョのことは、かなり鮮明に覚えている。
はじめに、ウェーターから、調理について、とうとうと説明を受けた。
使われる子豚は、定められたルールに則り、飼育されたものに限られている。
特別の血統に生まれたものを、生後三週間以内に調理しなければならない。
丸焼きにした子豚は、包丁やナイフでは切らない。
皿をたたき割ったギザギザのところを使って切る。
なぜなら、豚は不浄の動物のため、使い捨てにできる割った皿を使うのだそうだ。

不浄なものを食べるのは、いかがなものかという気もする。
焼き上がった子豚は、上下左右の、十字形に四分される。
この店では、その四分の一のひとつが一人前として、サービスされるのだ。
オーダーの際には、この調理法を理解しておかなければならない。
なぜなら、自分の好みの部位を、ウェーターに伝える必要があるからだ。
彼が長々と説明してくれたのも、そのためだった。
つまり、上の左側とか、下の右側とかを、自分で選ぶ必要がある。
上を選べば、脳ミソや心臓がついてくるし、下を選べば、腎臓などがついてくることになる。

上司たちに、下の部位をとられてしまったので、上の方を選ばざるを得なくなる。
皿の上に出てきたもの。
目や、鼻の形、耳に生えたたうぶ毛の存在も分かる。
かわいそう、とおもいながら、ナイフを入れる。
皮はパリパリに焼けていて、香ばしくて、おいしい。
しかし、中の肉と皮の間には、おもった以上に脂肪が残っていて、溶けたラードのようなコッテリした味がする。
脂肪の内部にある肉は、蒸し焼き状態。
これは、柔らかくておいしい。

そして、たぶん、内部から心臓と思われる部位が出現する。
それには、手をつけずに残す。
同様に、頭部もそのままにして残す。
結局、食べたのは、胴体の皮と内部の肉だけ。
もったいないけど、出された量の半分を残す。
下の部位をオーダーした上司たちも、だいたい似たようなもの。
家畜類の脂や内臓を、形のまま食べることに、日本人は慣れていない。
この料理は、この地域のひとびとが、長い時間をかけて、工夫を重ねて、作り出したものなのだろう。
だけど、平均的な日本人が持っている食への嗜好とは、相容れないところがある。
というのが、初めて食べたコチニージョの感想だった。

二回目のセゴビアは、マドリードからのバス旅行。
自分一人、週末を利用しての日帰りの旅だった。
セゴビアはトレドど並んで、日帰り旅行に絶好の場所。
現地旅行社が主催する、英語ガイドつきの旅行に参加した。
水道橋をみて、旧市街を見て、食事して。
アメリカ人旅行者に、ひとり混じった謎の東洋人。
そのため、ガイドにはほとんど相手にしてもらえず。
おいてけぼりだけは、食わないようにと、誰よりも早くバスにもどることに気遣った。
どこで何を見たのか、記憶の薄い旅だった。

そして、三度目のセゴビア。
水道橋から、すぐ近くの"Mason de Candido"、というお店に入る。
いかにも、アサドールらしい店構えに、惹かれた。

店内は、暗くて、しばらく周りの様子がわからない。
テーブルに通され、ようやく目が慣れると、壁に絵が飾ってあったり、柱に彫り物があったり。
自分たちの選択は、間違っていなかった、と安心する。

前菜は、薦められるがままに、パプリカ入りオムレツと白アスバラガスともう一品。
メインは、子豚の丸焼きと、子羊の丸焼きもあるというので、その両方を頼む。

前菜が終わり、出てきた子豚の丸焼きは、想像していたものと違っていた。
全体として、子豚の一部であることの痕跡が、あまり残されていないのだ。
それに、内部が抜かれた『抜き』の状態であるため、形状的には、ローストチキンのモモの部分が出てきたのに近い。

皮のパリパリは、コチニージョ・アサード本来のおいしさ。
前回感じた、溶けたラードのような食感も薄い。
これは、本当においしい。
友人がオーダーした、子羊の丸焼きも分けてもらう。
子豚と子羊の味と食感が、これほど違うとは。
子羊の方が、脂分が少なくて、あっさりしている。
その反面、ローストにしたためであろう、若干ではあるが、パサパサした噛みごたえがする。

子豚は子羊より、ジューシーな味わい。
皮のパリパリ以外は、焼いたというより、蒸した感じに近い。
でも、オイリーさは、やっぱり子豚のほうが強い。
ウェーターに、初めて食べたときのコチニージョ・アサードと違うことを伝える。
すると、内臓入りと抜きの両方のメニューがある。
観光客には、内臓抜きを薦めている、とのこと。

これを聞いたとき、どぜう鍋の『まる』と『ぬき』の関係に、似ているとおもった。
頭や骨がついた『まる』が、もともとからあるどぜう鍋。
ところが、それでは食べにくいし、不気味でもあることから、頭と骨を除いた『ぬき』が生まれた。
「『まる』こそが伝統的などぜう鍋だ」、という保守主義者の声をよそに、『ぬき』はその食べやすさから、多くの支持を受けるようになった。
もし、再びセゴビアを訪れることがあれば、またコチニージョをたべてみたい。
では、どちらのタイプにするだろう?
伝統も大切だけど、食べやすさも大事。
と、いうことで、「ヌキ・コチニージョ」の方を、選ぶに違いない。

<コチニージョの写真出典>
Meson de Candido(http://www.mesondecandido.es/blog/receta-del-cochinillo-al-horno-del-meson-de-candido/)
香港経済新聞
(https://hongkong.keizai.biz/photoflash/56/)
地中海料理と観光(http://mediterraneancookingandtouring.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html)
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