Ombra mi fu (ラルゴ:懐かしい木蔭よ)


前回に続いて、ヘンデルのアリアが登場。

 

第三位にランキングした、Ombra mi fu。

 

邦訳では、「懐かしい木蔭よ」、とされる。

 

おそらく、古典イタリア歌曲集(1)の中で、もっとも良く知られている曲だとおもう。

 

同年代の人なら、きっと以下の経験をしているのに違いない。

 

スーパーニッカのコマーシャルで、初めてこの曲に出会い、そのまま、この曲の虜になってしまった。

 

うたっているキャスリーン・バトルの、なんとも優しいソプラノの声が、耳に残って離れなかった。

 

1986年、バブル前夜のころ。

 

週休二日が、定着する少し前。

 

誰もが、遮二無二になって、前に向かって歩き続けていた。

 

そんな世相の中、テレビから、そよ風のように爽やかな歌声が聞こえてきた。

 

当時は、「癒し」という言葉に、今ほどの重要性が与えられていなかった。

 

それゆえ、木蔭の安らぎをテーマとするこの曲は、多くのひとびとの琴線に響きわたった。

テレビから、繰り返し聞えてくる彼女の歌声。

 

その温かな音色が、いつまでも記憶の奥に鳴りつづけて、Ombra mi fuは、ソブラノのために書かれた曲だと思い込んでいた。

 

 

それから30年がすぎる。

 

声楽のレッスンで、この曲を自分で歌うことになり、初めてストラートのために書かれたことを知った。

 

同時に、ヘンデル作曲のオペラ「セルセ」にある、アリアだということも。

 

ヘンデル作曲、オペラ「セルセ」。

 

場面は、紀元前480年ごろのペルシャ。

 

マラソンの起源、42キロを走った兵士の逸話が伝えられている、ペルシャ戦争のころ。

 

主人公セルセは、その戦争の当事者である、ペルシャ王「クルセクス1世」を、モチーフにしている。

 

では、このオペラのストーリーは・・・。

 

ネットで調べただけの、にわか知識によれば、数名の男女が繰り広げるラブコメディのような展開。

 

王セルセとアルセメーネの兄弟がいて、この二人がロミルダという女性を奪い合う。

 

運命に翻弄される悲恋とか、貫き通す愛の真実のような、重厚な話ではない。

 

むしろ、男女関係のドロドロそのものを、コミカルに描くことが、このオペラのメインテーマらしい。

 

Ombra mi fuの印象から、この展開を予想するのは、かなり難しい。

      

<セルセの主な登場人物>

 セルセ:ペルシャ王

 アマストレ:セルセの婚約者

 アルサメーネ:セルセの弟

 アリオダーテ:セルセの家臣でロミルダの父

 ロミルダ:アルセメーネの彼女

第一幕の冒頭に、セルセは、ポプラの木蔭で、この曲をうたう。

 

初演時の配役に関する情報が調べ切れず、どの役にどのような声質が当てられたのかは、定かではないのだけど、セルセにカストラートが配されていたのは、確かなようだ。

<レチタティーボ>

Frondi tenere e belle del mio platano amato
per voi risplende il fato
tuoni rampi e procelle 
non v’oltraggino mai la cara pace
né giunga a profanarvi austro rapace!

私の愛するプラタナスの柔らかく美しい葉よ
運命はお前たちの上に輝いている
雷鳴や稲妻や嵐が
決してお前たちの平和を乱すことのなきよう
貪欲な南風も、お前たちを冒涜することのなきよう

<アリア>
Ombra mai fù di vegetabile,
cara ed amabile,soave più

かつて、これほどまでに愛しく、優しく、
心地の良い木々の陰はなかった


この、たった2行の短い詩。

 

いったい、だれに向かって何をうたっているのやら、はっきりいって意味不明。

 

しかも、この意味不明な歌詞を、三回繰り返してうたう。

 

旋律が良くなかったら、「だから、どうした」、と文句をつけたくなるだろう。

 

レチタティーボは、これから始まるストーリーの暗示部分。

 

オペラだっら、この続きを聞けるから、フラストレーションは感じないとおもう。

 

ここだけを切り取って聞くから、今一、フル納得に届かないのは仕方がない。

 

その中で、ただ一つ、はっきりしていること。

 

それは、カストラートであれ、Ombra mi fu は国王がうたう、男の歌だということ。

 

そこで、またyou-tueを調べてみる。

 

すると、出てくる、出てくる、テナーの演奏。

 

エンリコ・カルーソー、フランコ・コレッリら、往年の名テナーたち。

 

カレーラス、ドミンゴ、アンドレ・ボッチェリなどなど、現役のスター歌手たち。

 

そして、デヴィッド・ダニエルズを始めとする、きら星のごときカウンター・テナーたち。

 

イタリア人、スペイン人、ドイツ人、ロシア人、アメリカ人、などなど。

 

この歌が、長く広く、歌手たちの歌心に答えてきたことが、よく分かる。

 

音域の異なるカウンター・テナーは別として、同じテナーといっても、声質は千差万別。

 

一般的には、つぎの4系統に分けられている。

 

レッジェーロ、リリコ、リリコ・スプリント、ドラマティコ。

 

簡単にいうと、軽くて細いから、太くて重いの順になっている。

 

パバロッティやカレーラスは、リリコに分類され、ドミンゴはリリコ・スプリントになるらしい。

 

どの声質がこの曲にあっているかは、それぞれの好みによるので、一概には語れない。


たとえば、同じスピント系に分類されている、ドミンゴとコレッリでは、歌いまわしや表現が随分と違う。

 

活躍している時代が違うこともあるが、描こうとしている世界が異なる気がする。

 

リリコのカレーラスとスピントのドミンゴを聞くと、ドミンゴの方が軽い音色に聞こえてくる。

 

カレーラスとドミンゴでは、表現したい木蔭の姿が違っいるのかも知れない。

 

一流の歌手は、歌いたいことに合わせて音色を調整することができる。

      

声質の分類を、厳密にしたところで、あまり意味があるとは、おもえない。


要は、歌唱を通して、情景や心象の描写に共感できるか、どうか。


さらに、女声の演奏も、聞いてみる。

 

聞きなれた、キャスリーン・バトルの愛らしくて澄んだ音色に心が和む。

 

いつ聞いても、しっとりした気分にしてくれる。

 

あわせて、メゾソプラノの演奏を聞く。

 

ジェニファーの包み込むように暖かな音色からは、ふくよかで、よりしみじみとした安らぎを覚える。

 

どれもみな、声も歌い方も違うのだけど、すんなりと、違和感なく、受け入れることができる。

 

たとえば、ヴァンデルリヒの声は、ドイツリートや、モーツァルトのオペラに、似合うとされている。

 

ひょっとしたら、木蔭の風景も、シューベルトの菩提樹を、思い描いているのかも知れない。

      

だけど、彼がうたうOmbra mi fuは、彼が訴求する癒しの音楽に姿をかえて、聞き手の胸の中に満ちてくる

 

なぜだろう。

 

さまざまな演奏を聞いたあとに、以下のことに気づく。

      

この曲は、はじめから、言葉の力を借りる必要がなかった。


その主旋律と、伴奏が作り出す音楽によって、極上の安らぎを与えることができる。

 

聞くほうにも、歌うほうにも、全てのひとびとにとっても。



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コメント: 1
  • #1

    ジェニファー ロラマーレ (月曜日, 25 9月 2023 23:47)

    素晴らしい�
    感動しました。