
イタリア歌曲集(1)から選ぶベスト10で、4位にランクインしたのが、この曲。
"Perla gloria d'adorarvi "(お前を讃える栄光のために)。
自然に、口ずさんで歌ってみたくなる曲。
簡単ではないけど、その歌い心地に、惚れ惚れとしてしまう。
メロディラインの、自然な上がり下がりに乗せられて、スッと高音を出すことができる。
一度うたえば、すぐに覚えられそうな気がする。

この曲が奏でる音楽には、つゆほどの、違和感も感じられない。
まるで、歌い手が、こうなって欲しいと希望することを、そのまま音符にしてくれているようだ。
万人が、納得できる、安定感。
長調の明るさの中に放たれる、おおらかで、伸びやかな調べ。
これらの要素が輻輳して、歌い手と聞き手の双方に満足を与える。
「Perla gloria d'adorarvi」は、そんな感じのする名曲。
だが、このアリアがうたわれる場面は、途方もなく切なくて、過酷な設定であることを知る。
ジョバンニ・ボノンチーノ作曲、オペラ「グリセルダ」。
その中に、このアリアがある。
今から、ほぼ300年前につくられたのだけど、この、奔放で率直な色彩に彩られた音楽は、さほどの時間の経過を感じさせない。
ジョバンニ・ボノンチーノ(1670~1747年)は、イタリア出身の作曲家。
チェロ奏者としても活躍していたとか。

ヘンデルと同じ時期にイギリスに渡り、そのライバルとして、もくされるほどの、実力者だったという。
それゆえ、このオペラは、1722年2月22日に、ロンドンの王立オペラ座で初演される。
さっそく、「グリセルダが」どんなオペラかを調べてみる。
すると、同名のオペラを、3人の作曲家がつくっていることがわかる。
ジョバンニ・ボノンチーノのほか、ヴィバルディとアントニオ・ボノンチーノ。
アント二オは、ジョバンニの弟で、兄と同じ歌詞を使って、同名のオペラを書いた。
ただし、兄の「グリセルダ」のほうが、より有名になった。
「グリセルダ」の、おおよその展開は、以下のとおり。
セッサリー国王(King of Thessaly)のグアルティエッロ(Gualtiero)は、小作人の娘であるグリセルダ( Griselda)と結婚をする。
ところが、身分が違うグリセルダを嫁にしたことが、貴族社会に受け入れられるか、心配でならない。
そこで、グリセルダに、数々の試練を与えて、自分の妃にふさわしい女かどうかを試そうとする。

彼女は、無事、それらの試練を乗り越えて、グアルティエッロの妃として迎えられる。
めでたし、めでたし。
あらすじを、かいつまんで語れば、これだけ。
ところが、二人以外の登場人物を加えると、話しは一気に複雑、かつ混沌の世界に向かう。
実は、このストーリーには、元ネタがある。
作者のパオロ・A・ロッリが、デカメロンから、ひとつの物語をベースにして、オペラ用に書き下ろした。
オペラにおける、本歌取りみたいなものだ。
では、肝心の「お前を讃える栄光のために」は、いつ、だれがうたうものなのか?
意外なのだが、主役であるグアルティネッロやグリセルダがうたうのではない。
エルネスト(Ernesto)という若者が、恋人のアルミレーナ(Almirena)に対してうたうもの。
王、グアルティエッロは、グリセルダに与える試練のひとつとして、彼女を宮廷から追放し、その直後に、若い女を娶ろうとする。
それが、アルミナーレ。
でも、彼女は、青年エルネストと恋仲にある。
話は、それだけでは終わらない。
何と、このアルミレーナは、グアルティネッロとグリセルダの間に産まれた実の娘で、幼いころに父により殺された、信じられていた。
ここに、思うに任せない悲恋と、苛烈な宿命という、オペラアリアが好んで取り上げるモチーフが完成する。

王による、恋人の略奪を目の当たりにして、エルネストはうたう。
Per la gloria d’adorarvi
voglio amarvi―o luci care.
amando penerò;
ma sempre v’amero―nel mio penare.
Senza speme di diletto
vano affeto―è sospirare:
mai vostri dolci rai
chi vagheggiar può mai―e non v’amare?

お前を愛する名誉のために
私はお前を愛したい あぁ!いとしい瞳よ!
愛しつつ苦しもう!
だが、ずっと愛していよう!
―そう、苦しみつつも!
幸せを得る希望もなく
むなしいこの愛は―ただ溜め息だけ。
けれどお前の目の甘美なまなざしに
心を奪われてしまった者は、
どうしてお前を愛せずにいられるのだ?
若い男の恋心と苦悩が、ほとばしり出るような、叫びの文言。
では、初演のときには、どのような声質を配役していたのだろうか。
◆グリセルダ(グアルティエッロの妻):コントアルト
◆グアルティエッロ(セッサリー国王):コントアルト(カストラート)
◆エルネスト(アルミレーナの恋人):ソプラノ(カストラート)
◆アルミレーナ(グアルティエッロとグリセルダの娘):ソプラノ
◆ラムバルド(シシリア出身の作家):バス

コントラルトは、女声でもっとも低い声を出せるもの。
ほぼ、カウンターテナーと同じ音域をうたえるという。
この演出では、男性でカストラートのコントラルトが国王を演じ、女性で女声のコントラルトが妃を演じる、ややこしい配役。
そして、"Perla gloria d'adorarvi”をうたう、エメストの声質はというと、カストラートの「ソプラノ」とある。
いかに、カストラート全盛の時代とはいえ、ソプラノ?
これが、今回二番目の意外感。

てっきり、主役であるテナーがうたうアリアに違いない、とおもい込んでいた。
それなのに、脇役のソプラノがうたっていたとは・・・。
実は、オペラには、trauser role (または、breeches role=ズボン役 ) というのがあり、女性の歌手がが男役を演ずる。
タカラヅカの、男役みたいなものだ。
たとえば、フィガロの結婚のケルビーノには、メゾソプラノの女性が配されるなど。
カストラートなきあと、この、エルネストにも、そのズボン役が当てられてきたことを知る。
きっと、ソプラノがうたっても、全体のオペラの流れの中で聞けば、違和感はないのだろうとおもう。
ちなみに、スカート役(Skirt Role)というのもあり、こちらは、歌舞伎の女形に同じ。

それでは、現在、どのような歌手たちにより、この歌がうたわれているのだろう。
YouTubeをみる限り、数の上では女性歌手の演奏が多い。
ズボン役が、この曲を歌い継いできた歴史がある為なのだろう。
一方で、ジーリ、カレーラス、バルガスなど、超一流、実力派テナー歌手たちも、うたっている。
その中でも、パバロッティの演奏が素晴らしい。
彼の声質は、この音楽が求める曲想に、ぴったり合っているとおもう。(何を聞いても、だいたいそうなのだけど。)
全体では、淡々としているが、奥深い感動が伝わってくる。
何より、第二フレーズのピアニシモ。
感涙ものです。
もうひとり。
ペルー生まれのテナー、フアン・ディエゴ・フローレスの甘美な声質も素晴らしい。
彼は、他のイタリア古典歌曲でも、大変優れた演奏を残している。
この曲を、単に、愛の歌という、漠然とした幅広いジャンルの中で捉えてしまうのは、もったいない気がする。
やるせない恋に悩む、若い男の心理。
純朴な自尊心と、直情的な決意。
この曲には、そんな男心を内在させて、音楽にする力がある。
そのあり様を、隅々までうたい上げることができるのは、やっぱり、テナーをおいてほかにはない。

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