最高の旅~マドリードのグルメ(Marisqueria編)~

イベリア半島のまんまん中にあるのに、マドリードには、新鮮な魚介類が豊富にある。

 

その理由は、市内に魚介類を専門とする大きな市場があるから。

 

特に、メルカマドリードは、築地の次に取引が多い大市場として、世界中に知られいる。

 

旺盛なマドリードっ子の胃袋を満たすため、ガリーシアなどから、ふんだんな魚介類が空輸されているという。

 

街角の、ちょとしたスーパーマーケットの店先にも、見たことのない魚介類が並んでいる。

 

珍しい魚介を見るのは、大変興味深い。

 

メルルーサ(細長い深海魚)の不気味な顔。

 

セントージョと呼ばれる、クモガニの一種などなど。

 

マリスケリア(Marisqueria)と呼ばれる、魚介専門レストランもある。

 

マドリードに行ったら、このマリスケリアは、ぜひ訪れるべき場所のひとつ。

 

肉料理のアサドールと同様に、海産物を中心とした、スペイン独特の料理を楽しむことができる。

 

しかし、ここでも、基本は新鮮な食材を、焼いて・茹でて・あるいは生で食べるだけ。

 

あまり、手の込んだ料理は出てこない。

 

このPortobello(ポルトベージョ)は、典型的なマリスケリア。

 

マリスケリアの特徴は、何といっても、店先を飾る豪華なディスプレイ。

 

ガラス窓ごしに、大きな冷蔵スペースが広がっていて、そこには細かく砕かれた氷の上に、色とりどりの魚介が並べられている。

 

ものによっては、芸術の域に達しているものもあり、立ち止まって、しばらく見ているだけでも、楽しい。

この写真は、食後に撮影したため、だいぶさみしくなっているけど、開店時はもっと盛りだくさんで、品数も多い。


一日の営業で、これだけの量の魚介を食べ尽くすのだから、ものスゴイ。

  

写真の右側にあるのは、アルメハス(=アサリ)。

 

調理するより、生で開いて、そのまま食べるほうがおいしい。

 

その隣の、大きなエビはランゴスタ(=イセエビ)。

 

中央の上にいるのは、シガーラ(赤座エビ)。

 

そして、左下の得体のしれない物体は、ペルセベス(カメの手)。

 

これは、丸ごと塩ゆでにして、たべる。

 

ペルセベスは、スペイン人が好む珍味。

 

カメの手といえば、海水浴に行ったときなど、岩場にくっついているのを見た記憶があるとおもう。

 

無数のカメの手が、びっしりと、ひしめき合って並んでいる光景に、気色悪さを感じたものだ。

 

それを、食べる!

 

日本人も相当だけど、スペイン人の悪食ぶりには、恐れ入る。

 

ところが、このペルセベスは思いのほかに美味で、慣れてしまえば、その外観にも抵抗が薄れてくる。

 

食べ方は、「手」の元についている、「腕」の部分を剥いて食べる。

 

茹で貝の味に似ているけど、より甘味が強い。

 

食感は、貝よりも、ずっと柔らかい。

 

三陸で食べた、フジツボの味と食感が、これに一番近いとおもう。

 

それも、そのはず。

 

このペルセベス、ガリーシアの大西洋に面した、断崖に繁殖しているものだそうだ。

 

一歩間違えれば、生命に危険があるような絶壁から、専門の漁師がロープを頼りに採取してくるのだという。

 

大西洋の荒波に洗われ、強風にさらされるぺルセベス。

 

その風味は、ガリーシアの風土だけが育むことのできる、唯一無二の絶品だとおもう。

それでは、この日の、Portobelloでのメニュー。

 

生ガキ、魚介の盛り合わせプレート、そしてエビ類を使ったオジヤ。

 

カキは丸形のもので、レモンを搾っただけで、食べる。

 

最近は、日本でも欧州のような丸ガキが食べられるようになった。

 

マドリードで食べるカキは、小ぶりで、シコシコした、引き締まった身。

 

やっぱり、本場の大西洋物には、かなわないとおもう。

 

魚介の盛り合わせプレートには、貝・エビ・カニが数種類、ふんだんに、山盛りにされて、やってくる。

 

これで、4人前。

 

前菜もメインもなく、これを一品オーダーすれば、十分満足できる質量。

 

食べても、食べても、掘っても、掘っても、なかなかなくならない。

 

魚介は、いくらおいしくても、大量に食べているうちに、だんだん飽きてしまう。

 

それも、ここでは心配はいらない。

 

あとで、余ったものを使って、オジヤを作ってくれるからだ。

 

マドリードのレストランにおけるエビ類。

 

大きさでいうと、次の順番。

 

ガンバス<シガーラ<ランゴスティーノ<ランゴスタ

 

ガンバスというのは、小さいエビのこと。

 

ランゴスティーノは、中サイズのエビ。

 

ランゴスタは、特大サイズ。

 

これらを、日本人が理解するるエビの種類に当てはめてみると、ちょっと混乱する場合がある。

 

レストランによって、分類が違っていることがあるからだ。

 

だいたいは、以下のとおりだったとおもう。

 

ガンバス(=大正エビ、ときとして車エビ)、ランゴスティーノ(=車エビ、小さい伊勢エビ)、ランゴスタ(=ロブスター、特大イセエビ)。

 

ほかに、シガーラ(=赤座エビ)、ヴォガヴァンテ(=オマールエビ)などは、固有品種を呼ぶもの。

 

エビ、カニの価格はグラム売りで、調理する前に、ウエィターがいくつか現物ももってきて、適当なものを選ぶ。     

 

シガーラとは、「赤座エビ」であり、日本人には、あまり馴染みがないかも知れない。

 

深海に住んでいるので、相模湾でも結構採れるらしい。

 

スペインでは、茹でて食べたり、パエリアに入れたりすることが多い。

 

マドリードのマリスケリアでは、長い腕を加えると50㎝を超えるような、巨大なシガーラをおいているところがある。

 

見るからに、ロブスター級の貫禄がある。

 

そのうえ、腕が体長と同じぐらい長いので、非常に大きく見える。

 

希少であるため、かなり高価ではあるが、焼いて食べるのがおすすめ。

 

深海にいるので、他のエビより殻が柔らかく、それを焼くと、身と殻とが一体となったようなでき上りになり、香ばしくてバツグンにおいしい。

 

身は、一般的なエビの噛み応えとは異なり、ホロホロと柔らかい。

 

ロブスターと同様に、腕やハサミにも十分な肉が入っている。

 

そして、これが魚介類のオジヤ(Cazuela de arroz con Langostaなど )。

 

カスエラ(Cazuela)というのは、もともとは茶色の調理用の陶器のこと。

 

中にオリーブオイルをいれて、魚介などを煮込むのに使うので、料理そのものをカスエラと呼ぶようになった。

 

したがい、これはカスエラで調理したエビ入りご飯=オジヤとなる。

 

エビみその味が濃厚に出ていて、お腹いっぱいでも、ついつい食べたくなる。

 

スペインには、幻の魚介料理がある。

 

アングーラのアヒージョ(angulas al ajillo )。

 

ウナギの稚魚を使ったアヒージョのこと。

 

90年代後半まで、マドリードのバルでも、これを食べることができた。

 

それが、最近では、一流のレストランでもアングーラの姿を見つけるのが難しくなった。

 

日本同様、スペインでも、ウナギの稚魚の漁獲が、厳しく制限されているからだ。

 

元から、かなり高価な料理であったけど、それに加えて、手に入れることさえ困難な、幻の料理になった。


アングーラの調理方法はといえば、アヒージョ以外を見たことがない。

 

たっぷりのオリーブオイルに、ニンニクとトウガラシを入れて、アングーラを煮るだけ。

 

それを、パンにのせて食べる。

 

特徴的なのは、木製の平たい専用フォークが、ついてくること。

 

そのフォークには、店の名前が書かれていて、アングーラを食べた思い出にと、持って帰ることができる。

 

このように、アングーラは、昔から庶民にとっては、高嶺の花であり、憧れの的であった。

 

ところが、アングーラに対して、成長したウナギ(=アンギーラ)は、手頃な値段で食べられる、ごく庶民的な料理。

 

一匹をぶつ切りにして調理するが、味は大雑把で、かなり脂っこい。

 

以下は、スペイン人から聞いた、古い小話。

 

田舎からマドリードに出てきた若者が、どうしてもアングーラが食べてみたくなり、レストランにゆく。

 

出された、メニューでアングーラを探す。

 

あるにはあったが、値段が、自分の予算よりはるかに高い。

 

そこで、ウエィターを呼び、「これはアングーラ何匹の値段か」、とたずねる。

 

ウエィターは、こんな田舎者を相手にしたくないので、「数えきれないほどの数だ」、と答える。

 

しばらく考えてから、若者は、「それでは、アングーラを一匹だけくれ」、と注文する。

 

ウェイターは、アングーラを一匹だけ調理することはできない。

 

その代わり、もっと大きなアンギーラはどうか、とすすめる。

 

すると、若者は、メニューと財布の中身を交互に見ながら、次のようにオーダーする。


「アンギーラを10匹!」

 

アンギーラは、一匹を食べるのでもたいへん。


この若者の注文は、恥の上塗りになったのはいうまでもない。

 

転じて、不慣れなところでは、不必要な見栄を、はらないほうがいい、ということの例えなのだとか。

 

文字通り、マドリードでは、このような見栄を、はる必要はない。

 

値段の高い安いにかかわらず、どこに行って、何を食べても、十分においしいのだから。、