O del mio dolce ardor(ああ、私のやさしい情熱が)


「素人テナーが選ぶイタリア歌曲」の、6位にランクインした、"O del mio dolce ardor"(ああ、私のやさしい情熱が)。

 

レッスンを始めた時からこの歌のもつ独特の雰囲気に、すっかりと魅せられてしまった。

 

情念を、呼び覚まされるような、一度耳にしたら、逃れることのできない、禁断の旋律のようだ。

 

初心者にとって、発声が破綻しないまま、この歌をうたい切るのは、かなり厳しい。

 

長いフレーズ、高い音域、音程の跳躍、音符の細かな動き、などなど。

 

豊かな息の流れに裏付けられた、表現力が伴わないと、

 

この曲中に秘められた、途方もないマグマを、発露することはできない。

 

それを差し置いてでも、なお、演奏してみたくなる魔力を、この曲は供えている。

 

クリストフ・ヴィリバルト・グルック(Christoph Willibald Gluck)。

 

時は18世紀の中葉、ローマ皇帝ハブスブルグ帝国の絶頂期に、

 

宮廷お抱えの音楽家として、一世を風靡したエリート。

 

そんなグルックが作曲した、オペラ〈Paride ed Elena(パーリデとエーレナ)〉の第一楽章に、このアリアがある。

 

場面はスパルタ、王妃エーレナの宮殿。

 

パーリデとエーレナは、出会った瞬間から、相互の美しさに惹かれ合う。

 

そして、パーリデはうたう。

 

<イタリア語歌詞>

O del mio dolce ardor bramato oggetto, 

l’aura che tu respiri, alfin respiro.

Ovunque il guardo io giro, le tue vaghe sembianze amore in me dipinge:
il mio pensier si finge le più liete speranze; 

e nel desio che così m’empie il petto cerco te, chiamo te, spero e sospiro.

 

<日本語訳>

おお!  私のやさしい熱情が 恋い焦がれる人よ
あなたが発する吐息で ついに私は呼吸をする

私がどこへ目を向けても あなたの優雅な姿を描かせる この愛よ
最も喜ばしい希望を このように 私の胸を満たす欲望の中で

私はあなたを探し求めて あなたを呼んで 待ち望んで ため息をつく

 

この歌詞の、何とも、妖しく、ねっとりしていることか。

 

誰に、はばかることなく、ほとばしるように、告げられる、愛のことば。

 

パーリデとエーレナ、もしくは、パリスとヘレナ。

 

ギリシャ神話に登場する、運命の二人。

 

このオペラの元になった、こんがらがったストーリーを理解するのは、とても骨が折れる。

 

長くてややこしい、ギリシャの名称は、できるだけ省略して、以下に簡単にまとめてみる。

 

パリス〈パーリデ〉は、トロイヤの王子。

 

ヘレナ〈エーレナ〉は、スパルタの王妃。

 

山中で、羊飼いの生活をしていたパリスは、愛の女神、アフロディーデからの命をうける。

 

スパルタに赴き、王妃ヘレナを誘拐して、自分の妻にせよと。


この命令は、同時に、共に暮らしていた妻子を捨てることも意味していた。

 

それでも、パリスは、まんまと、ヘレナを奪い去り、トロイヤに連れ帰る。

 

当然ではあるが、妻を略奪されたスパルタ王は、烈火のごとく激怒。

 

復讐の鬼となり、大軍をトロイヤに送り込む。

 

両者が、真っ向からぶつかり合う、激しい戦闘の中で、

 

パリスはヘラクレスの弓に射られ、瀕死の重傷を負ってしまう。

 

必死の看病を続けるヘレナ。

 

しかし、彼女に彼を治すことはできない。

 

とうとう、パリスはその傷がもとで、落命する。

 

悲嘆に暮れるヘレナ。

 

だが、戦いは、それからも続く。

 

パリスの死後、二人の弟が、相次いで彼女に言い寄ってくる。

 

悩んだ挙げ句に、ヘレナは、下の弟の妻になることを決める。

 

上の弟は、ヘレナの選択を恨み、母国トロイヤへの憎悪と変えてゆく。

 

この裏切りが引き金となり、

 

ギリシャが用いた木馬の策略に陥ったトロイヤは、

 

滅亡の奈落へと、転がり落ちてゆく。

 

トロイヤ陥落のとき、

 

ヘレナは、木馬に忍びこんできた、前夫(スパルタ王)につかまって、殺されかける。

      

しかし、彼は、ヘレナと過ごした愛の日々を忘れることができない。

 

最後は許されて、生きたままスパルタに帰還する。

 

その後の彼女は、平穏に暮らしたとも、甥の手にかかって殺されたとも。

 

この長い顛末のうち、グルックが取り上げているのは、

 

前半の、パリスとヘレナの出会いの部分。

 

パリスは、妻子を捨てて、ヘレナのもとへ。

 

ヘレナは、一旦は、パリスからの求愛を拒絶する。

 

だが、親友であり、またキューピットでもあるエラスト(Erasto)の仲介を受け、

 

しばらくして、ヘレナはパリスの思いを受け入れることになる。

 

それからは、もう、どこの誰も、

 

その燃え上がった炎を、止めることはできない。

 

夫婦として暮らすため、二人はトロイヤへの逃避行を決意する。

 

知恵の女神アテネは、その行為が、いかに悲惨な結果をもたらすかを忠告する。

 

しかし、その諫めの言葉も、二人の耳には届かない。

 

国を滅ぼすことも顧みず、手を取り合い、盲目な愛に突き進んでいった男と女の姿。

 

神々の気まぐれに翻弄され、宿命の螺旋に飲み込まれて、

 

深く、地の底に沈んでゆくだけの、救われることのない熱情。

 

分かっていても、逃れることができない、男と女の性。

 

このアリアの主題には、そんな、悲しい炎に照らし出された、

 

おどろおどろしいまでの情念が、うず巻いているかのようだ。

      

作曲者のC・W・グルックは、1714年に生まれ、1787年に没している。

 

出身地は、バイエルン。

 

マリア・テレジアの宮廷楽団長の地位を得てからは、ウィーンに定住。

 

その後、音楽教師として仕えていたマリー・アントーワネットとともに、パリに移る。

 

バイエルン出身であることといい、マリー・アントーワネットに仕えていたことといい、


活躍の場においては、”Piacher d’amore"を作曲した、J・P・マルティ二と類似点が多い。

 

年齢からすれば、マルティニより、30歳ほど先輩になるのだけど。

 

マルティニは、1780年ごろにパリ移住している。


ひょっとしたら、ベルサイユ宮殿のどこかで、


二人は、出会ったことが、あったのかもしれない。

 

音楽家としてのグルックは、マンネリ化し、停滞していたオペラの改革を目指していた。

 

”Paride ed Elena”は、それを実践した三作目として、1770年ウィーンで初演される。

 

”O del mio dolce ardor"について、当初は、別の作者(Alessandro Stradella:1639–1682年)、のものと考えられていたらしい。

 

それが、後年の研究により、グルック自身の手によるものであることが確認されたという。

 

”Paride ed Elena” の初演時の、主な配役は次のとおり。

      

◇Paride(トロイヤの王子パリス):ソプラノカストラート

◇Elena(スパルタの王女ヘレナ):ソプラノ

◇Cupid(ヘレナの親友で名前はErasto):ソプラノ

◇Athena(ギリシャの女神アテネ):ソプラノ

 

やはり、着目すべきは、男性であるParideにソプラノカストラートを充てていることだろう。

 

このため、カストラート亡きあと、Parideがうたうアリアについては、

 

オクターブ下げた音程でテナーがうたうか、

 

ソプラノやメゾソプラノが歌い継いできたという。

 

それでは、現在は、どのような歌手たちによって、この歌がうたわれているのだろう。

 

結論として、想像以上に男声、それもバリトン歌手の演奏が多いのに驚いた。

 

素人のみならず、プロの歌手にとっても、この歌が発する魅力に、抵抗することは難しいのだろう。

 

実はこの曲にも、”Piacher d'amor”と同様に、AとBの2パターンがある。

 

実演例では、Aパターンのほうが圧倒的に多いそうなのだけど、自分は、レッスンでBのほうを練習した。

 

この2パターンの楽譜を比べると、伴奏も違えば、速度表記も異なる。

 

そればかりでなく、メロディラインや付点の付き方も違うから、別の音楽のよう。

 

Youtubeでも、Bパターンの演奏を見つけることができなかった。

      

どうやら、世間一般では、パターンAのほうが、"O del mio dolce adoror"、だと考えているようだ。

 

実際に、演奏をいくつか聞いてみる。

 

最初は、やはり、テナーのものに気が行ってしまう。

 

いくつか聞いた中では、Juan Diegoのレッジェッロの声が、もっとも自分の感性にマッチしているとおもえた。

 

彼の演奏は、”Per la gloria d'adorarvi”(お前を讃える栄光のために)でも紹介した。


甘くて、軽くて、伸びのある歌声に、いつも聞きほれてしまう。

 

バルガスのオケ版の演奏も、捨てがたい。

 

バリトンでは、英国のオペラ歌手、John Morganの粛々とした演奏に心が打たれる。

 

ロシアのバリトン、Dmitri Hvorostovsky(ディミトリィ・ホロストフスキィ)も美しい。

 

特に、チェンバロとオーケストラ版のほうが好きだ。

 

声の表情を抑えて、ヒタヒタと押し寄せてくる緊迫感を内包するように演奏している。

 

ソプラノでは、1950~60年代にミラノで活躍したプリマドンナ、Renata Tabaldiの演奏が素晴らしい。

 

迫り来る悲劇を、物静かに暗示するような表現力には、聞くたびにゾッとさせられてしまう。

 

パリスは、アフロディーデを、最も美し女神として選んだ。

 

この決断に端を発して、二人は、必死にもがき苦しみながら、宿命のるつぼの底に沈んでゆく。

 

人生には、ほんのひとつの何気ない選択が、やがては途方もない結末をもたらすことがある。

 

しかし、人が何かを選択する基準には、その人が元来もっている本性が大きく影響している。

 

宿命とは、自らの本性が作り出した自分史に他ならない。


"O del mio dolce ardor"をとおして、グルックが描き出したかったものは、


持って生まれた本性を変えることのできない人々への、


憐憫と共感だったのかも知れない。