最高の旅(オンダビリアのパラドール)


サン・セバスチャンからオンダリビアまでは、車で一時間弱の距離。

 

いよいよ、この旅行のハイライトである、パラドールに宿泊する日が来た。

 

パラドールというのは、日本の国民宿舎に似ているが、大きく違うのは、歴史上の史蹟をホテルにして、スペイン政府が管理運営しているもの。

 

オンダビリアを始めとして、現在では、スペイン国内の90を超える観光地に設立されている。

 

姫路城や二条城をホテルにして、泊まれるようにしたようなもの。

 

これを聞いただけでも、心がワクワクする。

 

その前に、まずは、オンダビリアの起源について。

 

今更でがあるが、Wikipediaの記載によれば、Hondaribia(オンダリビア)というのはバスク語であり、スペイン語ではFuenterrabía(フエンテラービア)と呼ばれていることを知る。

 

その語源は、「川の浅瀬や辺りを水に囲まれている土地」。

 

この町の記録が歴史に残されるようになったのは、サン・セバスチャン同様に、12世紀、ナバレ王国の統治のころから。

 

国境の地という地政的な理由もあり、今でもこの町全体が、城塞として残されている。

 

宿泊するパラドールも、起源は980年に建設された防塞だそうで、遠く1000年以上の歴史をもっていることになる。

 

車を降りて、パーキングからスーツケースを押して行く。

 

しばらくすると、オレンジ色の看板が目に入ってくる。

 

どうやら、そこが目的のパラドールの入口らしい。

 

全体像は、真四角な石造りの、殺風景な建造物にも見えた。

 

看板の横に、こじんまりとしたドアがある。

 

薄暗い館内。

 

石造り特有の、ひんやりした空気に取り巻かれ、絶頂まで舞い上がっていた高揚感が、平常心に引き戻される。

 

左手に木製のカウンターデスクがあり、女性が二名で宿泊の受付をしている。

 

チェックインを済ませ、パラドールの内部に進む。

 

すぐに、吹き抜けになった大広間が現れる。

 

石の壁の一面を覆ってしまうほど大きな絵がかけられている。

 

絨毯の上には、古風でゴージャスな調度が並んでいる。  


まさに、期待していたどおりのシーンが出現。

 

正真正銘の、由緒ある古城の風貌に、ますます期待感が膨らんでゆく。

 

重いスーツケースを引きずりながら階段を上る。

 

板張りの廊下を通って自分の部屋に向かう。

 

後で分かるのだけど、この板張り廊下が、実は大変な曲者。

 

人が通るたびにギィギィと音を立て、それが館内に響き渡る。

 

ベッド、クローゼット、机だけが置いてある、シンプルな部屋。

 

鎧戸のついた窓の向こうには、明るい海が広がっている。

 

その海の青の発色が何とも独特で、いつまでも眺めていたい欲望に取り憑かれた。

 

川の水が、長旅を終え、まさに海となって混じり合う瞬間の風景。

 

海のものなのか、川が運んできたものなのか、もはや判別ができない、グラデーションのかかった水の色。

色とりどりの小舟が行き交い、手前に向かってだんだんと深まり行く群青の上に、何輪もの花を添えているようだった。

 

夕食までの間、市内を散策してみることにする。

 

パラドールを出てすぐのところに土産物店があったので、所在もなく入ってみる。

 

そこで目を引いたのは、バスク伝統スポーツに関連したグッズ類。

 

バスクには、力自慢たちが競い合う、地域独自のスポーツがあって、ちょうど、そのころ、アリナミンのTVコマーシャルで名高達郎がチャレンジする姿がオンエアされていた。

 

なんとも、不可思議な競技ばかりだった。

 

Segalarisという競技で使われる、立方体の巨大な錘を模したペパーウェイトを購入。

店を出て、足の向くまま、ぶらりと市内へ。

 

城壁を眺めたり、ポプラの林立する小径を歩いたり、すると市内には、他では見たことのない姿の建物が並んでいるのに気づく。

 

木材を多く使い、色とりどりに塗られた屋根や窓の装飾が美しい。

 

これは、コロンバージュという建築様式で、フランスを中心として、欧州の中世都市に見られるもの。

 

そういえば、ドイツの古い町にも、同様に木材を使って装飾を施した建造物があったことを思い出す。

 

バスク地域のものは、国旗の色から赤・白・緑を使った独特の色彩が特徴だという。

 

石畳の道のアンジュレーションに、カラフルな家々が立ち並ぶ光景に、暫し見とれて立ち尽くす。

 

家の軒下にもまた、インパクトの強い飾りが付けられていた。

 

たとえば、ドアの上から首を伸ばしているピエロ(に見えた)。

 

この写真は、下から見上げて撮影したもの。


壁から首をだしているようだ。

 

遊び心からなのか、それとも何かの謂れがあってのことなのか。


現在では知る由もないのだけど、この地を後にしてからも、口をすぼめて何かを言いたそうにしているピエロらしき人物の表情が、目について離れなかった。

 

小一時間ほどの散策のあと、夕食に向かう。

 

<LA HEREMADAD De Pescarores>

 

漁業協同組合が経営している、魚介類専門の店。

 

日本風にいえば、地魚料理の店。

 

白と青のペンキをべったり塗った平屋建て、なるほど、その外見も飾り気がなく、極めてシンプル。

 

明るく、白に塗られた店内には、野太いガラガラ声が響いている。

 

小太りのおばさんが、チラリとこちらを見て、そこに座れと合図している。

 

離れたテーブルに、もう一組、子供連れの三名がいるだけ。

 

指示されたとおり席につくと、 おばさんがテーブルに近づいてくる。

 

どうやら、彼女しか接客係がいないようだ。

 

ぶっきらぼうに、手に持ったメニューを差し出し、とりとめもなく思ったことを喋り出す。

 

ここでは、お父さんたちが漁で捕ってきた魚を、お母さんたちが交代で調理している。

 

天候によって、捕れる魚が変わるので、メニューも毎日異なる。

 

バスクの漁場は、波が荒いので、一人前に漁ができるまでには年季がかかる、などなど。

 

いろいろ話しているうちに、すっかりアミーゴ同士に。

 

これが、スペインのいいところ。

 

我々は、彼女にとって、初めての日本人客なので、ワインをおごりたいという。

 

バスク産のチャコリ スダガライ。

 

今でも忘れられない、舌に滲みるほどキリキリな、超ドライな白だった。

 

そして、食事のメニュー。

 

魚介のごった煮とメルルーサのエラの煮込みをオーダー。

 

ごった煮のほうは、トマトベースのスープに、白身魚とエビ・カニが煮込まれた、かなりの贅沢品。


ブイヤベースのようだけど、スープのコンデンスの高さから、別ものに感じた。

 

素材の旨味が溢れ出して、口の中で踊っているような美味しさだった。

 

メルルーサのエラの方も、贅沢さからいったら負けてはいない。

 

何せ、大きな魚体から二つしか取れないエラの部分を、ふんだんに使った煮込み料理なのだから。

 

ひとくち食べた印象はというと、深海魚特有の魚脂とコラーゲンがたっぷりと含まれていて、見た目より濃厚で脂っこい感じ。

 

塩ベースのスープの表面には、ギラギラした魚脂とともに、色鮮やかなクコの実が浮かんでいる。

 

これは、初めて体験する、味と食感だった。

 

その個性的な風味は、激辛微炭酸且つ超フレッシュな、ズダガライと相性がバツグン。

 

バスクの海の幸と、それを支える人々の心意気を、丸ごと満喫したような食事だった。

 

現在、LA HEREMADAD De Pescaroresはどうなっているのかと、ネットで調べてみる。

 

すると、日本語メニューがあるほどポピュラーなお店として知られるようになり、連日、日本人客が絶えないようだ。

 

バスクのはずれにある、漁師のお母さん食堂が、今ではガイドブックを飾る有名レストランに。

 

20年前とは、隔世の感がある。

 

夕食が終わり、パラドールに戻る。

 

翌日は、エンダイヤからTGVにのり、一気にパリまで移動することになっていた。

 

夜のパラドールの内部は、かなり不気味だった。

 

かろうじて灯されているような、壁のライトを手掛かりに、四人の男たちが、恐る恐る部屋までの工程を進む。

 

闇の中に、何かが潜んでいるような気がしてならない。

 

広間の、あの大きな絵は、ゆらゆらと空中を浮遊しているかのように、暗闇の中に見え隠れしている。

 

廊下に足を踏み入れた途端、ギイという音が館内に響き渡る。

 

その音が、不気味さに一段と拍車をかける。


言葉を忘れ、足早に部屋の中へと逃げ帰る。

 

たどり着いた部屋も、古城の雰囲気を維持するためか、最低限の灯りしかつけられていない。

 

冷たく無慈悲な石壁が、孤独感を増長させるようで、寝る以外に為すことを思いつかない。

 

一人、ベッドに潜り込んで目を閉じる。

 

すると、廊下のギイギイうめく声が、出所が不明のまま、漆黒の館内から響いてくる。

 

ハムレットの幽霊も、こんなのだったのかと、余計なことを考える。

 

そうなると、その音がますます気になって、一層寝ることができなくなる。

 

翌朝には、古城で寝泊まりするのも、善し悪しだなぁ、との感想を抱くにいたる。

 

同僚の中には、パラドールで過ごした一夜は、めったに体験できない、有意義なものだったと、評価するものもあった。

 

いずれにしても、再度、宿泊することがあるとしたら、独り寝は厳禁。


必ず、パートナーを連れてくるべきだ、などと思いつつ、オンダビリアのパラドールを後にする。

 

車でエンダイヤに向かう途中、鉄橋の上から、TGVが到着するところに出くわす。

 

その瞬間、「日常に帰る心の準備」を、しなければならないことに気づかされた。

 

それから間もなくしたら、バスクでの旅は終わろうとしていた。

    

旅の思い出に、首まで浸って到着したエンダイヤは、そんな感傷的な気分を受け入れることがない、ごく普通の駅だった。

 

出発時刻になる。

 

これも、ごく普通に、TGVがパリに向かって走り出す。

 

かくして、なんともあっけなく、最高の旅が終わりを告げた。

 

バスクへの旅。

 

じつは、それほど、行き先を熟慮したわけではなかった。

 

「パラドールに泊まってみたい」、と軽い気持ちで計画したのが始まりだった。

 

思うに、旅の目的地がどこであったかは、さほど重要ではなかった。

 

どう旅をするかが大切だった。

             

スペイン内戦を始めとして、世界中を旅した、アーネスト・ヘミングウェイは、こう言っている。

 

You can’t get away from yourself by moving from one place to another.

 

〈あちこち行ったところで、自分自身から離れることはできない。〉

 

自分の本性から、逃避することはできない。

 

むしろ、その本性をみつめて、自分らしさを発見するためにこそ、人は旅に出る意味があるのだと思う。


感性を、あるがままに、思う存分に解放できたから、バスクへを巡った旅は、今でも最高だったと評価できるのだろう。