
「イタリア古典歌曲ベスト10」に、入れることができなかった曲の中にも、大好きなものがいくつもある。
それらについて、なにも語らないままで終わってしまうのも、残念な気がする。
イタリア古典歌曲集(2)にも、好きな曲、気になる曲があるので、しばらく継続して、番外編を書いてみようとおもう。
今回は、アマリッリについて。
歌曲集(1)の、一番最初に出てくる歌。
古典歌曲の入門曲として、歌ったことがあるひとも多いだろう。
澄み渡たる冬空のような、独特の透明感あるメロディ。
それでいて、そこはかとなく、おどろおどろしいような、不思議な感じの曲でもある。
特に、エンディングの音階が美しくて、声にして、うたってみたくなる。
ところが、全体を通してとなると、苦手な部類の曲なんだなぁ。
単調、下降音形、長い音譜の、不得意三大要素の全てがそろっているだけじゃない。
歌っている最中に、ただ、音符のとおりに、声を出しているだけのような、
中間に差し掛かるあたりで、何を歌っているのやら、方向性を見失ってしまうような、、
スローテンポの中で、込めるべきメッセージが見いだせなくなって、
そのまま、不完全燃焼のうちに、曲が終わることに。
音域的には、広くもなく、狭くもなく、ちょうどいいはずなのにな。

この曲の成立は、イタリア古典歌曲集の中でも、一番目古い時期にあたる。
にもかかわらず、歌曲として、しっかりと継承されてきたのは、出版物として楽譜が残されているからだろう。
作者は、ジュリオ・カッチーニ(Giulio Caccini)、1545頃~1618年。
あの、アヴェマリアで有名なカッチーニ!
ところが、「カッチーニのアヴェマリア」と呼ばれている作品は、なんと1970代年に、ロシア人の作曲家が作ったものだそう。
なんで、こんなことになってしまったのかといえば、「カッチーニのアヴェマリア」という、紛らわしい命名をしたこと、
そして、そのまま世界中に広まってしまい、
どうしても、自分が作りましたと、言い出せなくなってしまったためだとか。
だから、こんなに良く知られた曲を作ったのに、一銭も印税がもらえなかったらしい。
言われてみれば、ほかのアヴェマリアと比べると、歌詞の内容が不自然かも。
と、いうより、歌詞は「アヴェマリア」を繰り返しているだけ。
宗教的なラテン語の歌詞がついていないのは、カッチーニの生きた時代に、ふさわしくない気がする。
たぶん、メロディが先にできて、それに合わせるために、歌詞は「アヴェマリア」を繰り返すことにしたんじゃないかな、とおもったり。
それはさておき、肝心のカッチーニ本人について。
400年も前に亡くなっているので、その人生の前半は、よくわかっていないらしい。
出身地すら、はっきりしていないそう。
Wikipediaの記載では、彼は、たいそうな美声の持ち主で、テナー歌手として、ローマで活躍。
コジモ・デ・メディチに、その才能を認めれ、いざ、フィレンツェへ!
その後、メディチ家のお抱え歌手となって、ここに、彼の音楽家としての人生が花開いていく。
絵に描いたような、立身伝。
事実、この出会いは、彼にとって最良のパトロンを捕まえる結果になったとおもわれる。
ここで言うコジモ・デ・メディチとは、15世紀にメディチ家興隆の基礎を作ったイル・ヴェッキオではなく、
〈トスカーナ公コジモ1世〉の方だと理解。
コジモ1世は、傍系の出身ながら、勇猛な軍人であったばかりでなく、君主としても、なかなかの敏腕家だったらしい。
都市改造を積極的に推進して、ウッィフィ美術館をはじめとするフィレンツェの街並みを、現在に残している。
このように、カッチーニが移り住んだころのフィレンツェは、再構築を目指して人と資金が集まる、活気と夢に満ち溢れた都市だったのだろう。

同時に、この当時のフィレンツェは、ヴェネツィアと並ぶ、音楽の中心地としても機能していたという。
後の、ナポリ、ウィーン、パリもそうだけど、権力のあるところには、決まって、音楽の発展がある。
ルネッサンスがひと段落したあと、音楽は、まだまだ宗教からの強い規制を受け、対位法などの束縛の中で、もがき苦しんでいた。
そんな中、権力の主体が、教会から王様たちに移ってゆく。
それにしたがって、音楽の役目にも変化が!
神の言葉や、神聖な世界を再現するものから、権力を頂点とした、ありのままの人間性を代弁するものへと、変遷してゆく。
フィレンツェでは、この音楽の主体者の推移に対して、その新しいあり方を模索する動きが活発化していた。
これも、Wikipediaの記載を参考にすれば、モノディと呼ばれる新たな形式が、フィレンツェで盛んになり、
それが、やがてバロック様式に結実していったと。
モノディ形式の説明には、〈独唱または少ない人数の重唱に伴奏楽器を伴う音楽〉、とある。
このころは、いろんな形式が出てきてややこしいのだけど、
ようするに、〈アカペラ合唱+ポリフォニー形式〉から、〈伴奏つきの歌曲〉が派生したのだと理解。
ちなみに、このモノディ形式は、〈カラメータ〉という、文化人サロンの活動の中から生み出されたのだそう。
カッチーニも、そのメンバーとして活動し、〈演劇の中でも使える音楽は何か〉を追求したところ、このような形式に至ったらしい。
どうして、それがそうなったんだか、詳しい理屈は分からないのだけど、
とにかく、このモノディにしたがった曲作りが、その後のレクタチーヴォにつながってゆくのだとか。
実際に、カッチーニが残した作品として現在に伝えられているものは、3つのオペラと2冊のマドリガーレ集がある。
オペラと歌曲集だから、まさしく、バロック時代のはじまりに活躍した音楽家だったんだなぁ、とおもう。

アマリッリは、そのうち、1602年に発表した、一冊目のほうのマドリガーレ集、Le Nuove Musiche にある歌曲のひとつ。
Le Nuove Musicheの日本語訳は、「新音楽」。
この題名からして、カッチーニが、どれだけ力を入れて作ったものかが、わかる気がする。
「今までのヤツとは、違うのができたぜ!」、とでも言ってるようだ。
では、マドリガーレとは、どんなもの?
イタリア古典歌曲集(1)の中で、Madrigaleと分類されているのは、このアマリッリだけ。
そこで、もう少し、このことについて調べてみることに。
まず、マドリガーレとは、〈自国語でうたう歌〉という意味であったことがわかる。
教会の音楽がラテン語だったので、自国語でうたうということは、世俗的なものをうたうということ。
イタリアでは、14世紀ごろから流行りだし、16世紀になると、〈自由詩を使った、4~5声によるポリフォニー形式〉が主流となった。
4~5人が集まって、同じメロディを、順々にうたってゆくような感じ。
それが、最後期になると、言葉のもつ感情表現に、さらに重点が置かれるようになり、その結果、ポリフォニー形式であることに矛盾を抱えるようになった。(鹿児島国際大学 民族芸能研究室)
フムフム、
ポリフォニィに縛られていては、言葉のニュアンスを自由に表現できないことに、気づいたわけね。
一方、Le Nuove Musicheについて解説したものをみると、モノディ形式にしたがい、単声歌唱と通奏低音のために編集された歌集であり、その中には、12のマドリガーレと10のアリアが収められている、とある。
その22の曲目リストをみると、マドリガーレの8番目に、アマリッリを見つけることができた。
だけど、マドリガーレの定義が、〈多声によるポリフォニー〉だとすると、
単声歌曲であるアマリッリを、その中に入れるのは、おかしいじゃん。
これこそ、この曲が、マドリガーレの最期のころに作られて、伝統的な方式との間に矛盾が生じてしまっている、端的な例ということなのだろうか。
その答えは、同じLe Nuove Musicheにある、アリアとして分類された曲の中に秘められているのでは、と推理してみた。

そもそも、アリアという言葉が使用されたのは、このLe Nuove Musicheにおいてが、初めてだったそう。
一方、アマリッリの歌詞について。
その作者は、ジョヴァンニ・バッティスタ・グァリーニ。
ルネサンス後期からバロック気の音楽史に影響力のあった詩人で、
マドリガーレの作曲家たちは、さかんに彼の作品に曲をつけたのだそう。
Le Nuove Musicheには、彼の詩によるものが、他にもいくつかある。

〈Amarilli原語〉
Amarilli, mia bella
non credi, o del mio cor dolce desio
d`essertu l'amor mio?
Credilo pur: e se timor t'assale,
dubitar non ti vale.
Aprimi il petto e vedrai scritto in core:
Amarilli é'l mio amore.
〈日本語訳〉
美しい私のアマリッリ
私の心の優しい希望であるひとよ。
私が貴女を愛していることを貴女は信じないのか。
どうか信じておくれ。
たとえ不安が貴女を襲っても疑う必要はない。
私の胸を開けてみれば心に記されているのがわかるだろう、
アマリッリは私の愛であると。

この詩は、400年前に作られたものだけど、まったく違和感がない。
バロックのころの「いとしのエリー」みたいだ。
これを理解するのに、特別な知識はいらない。
一般的で、平易で、だれでもストレートに表現ができそう。

それでは、実際の演奏に触れてみることに。
YouTube上には、これまでのものとは比較にならないほど、おびただしい数の演奏がアップされている。
とても、全てを視聴できる数ではない。
そこで、再生回数やコメント欄の記載を参考に、興味あるものを聞いてみる。
まずは、メゾのCecillia Bartoliの演奏。
ピアノ伴奏なのだけど、イタリア人であり、バロック歌手の第一人者の演奏に、ただただ聞き入ってしまうばかりだった。
もの寂しげな音色の作り方やら、メリスマ装飾による歌いまわしやら、人から「こうしろ」、と教えられてできるものではない気がする。
譜面上から想定できる音楽とは異なる、別世界のアマリッリに出会ったようだ。
オランダ出身のソプラノ、Johannette Zomerの演奏には、バロック楽器のテオルボが使われている。
カッチーニのころ、マドリガーレが流れるフィレンツェの街角に、ひとり迷い込んでしまったような気分に浸らせてくれる。
カウンターテナー Philippe Jarousskyの演奏も、スゴイ。
再生回数が、40万回を超えているのも納得できる。
同じく、テオルボの伴奏に相まって、こちらのほうは、まるでカストラートが歌うサロンに誘われているよう。
アーチリュートという、また別のバロック楽器を使った演奏もある(アメリカ出身のソプラノ Phoebe Jevtovic Rosquist)。
男声のいい演奏が少ない中、コロダチューダバリトンという声質の、Emiliano Barraganのものが、かなり良い感じの音楽になっている。
南米カラカス出身ながら、バロック期アリアを集めたアルバムを出しているほど(Arie Anteche)。
これらの演奏を聴いておもったのは、
マドリガーレというのは、確かに、品格の整ったクラッシックに聞こえるのだけど、
デフォルメされた魂の声みたいなものが宿っていて、
シャンソンだったり、カントリーだったり、たぶん日本の民謡なんかにも共通点があるのかも。
それゆえ、いわゆる声楽曲の延長線で、漫然とこの時代の曲をうたうのは、適切ではない。
この歌をうたい終わった後の、不完全燃焼の正体は、これだったのだね、としみじみおもう。
「最近の歌手たちの、装飾フレーズの歌い方は、全くなってない。」
優れた歌手でもあったカッチーニは、〈Le Nuove Musiche〉の序文の中で、このように嘆いたあと、実例を挙げて、歌い方の説明をしているそう。
あらま、アマリッリは、そもそも、作られた時から、それにふさわしい歌い方が、記されていたんだ。
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