Star Vicino(側にいることは)


今回のテーマ曲、Star Vicino(側にいることは)。

 

名曲ぞろいのイタリア歌曲集のため、ベスト10に入れることができなかったけど、

 

歌いやすくて、気に入ってる曲のひとつ。

      

何といっても、1.長調、2.上昇音形、3.短い音符の、〈大好き三要素〉がそろっている。

 

ソプラノやテナーには、上顎の共鳴を使って、綺麗にスッキリ歌うための、練習曲に向いている。

 

1.単調、2.下降音形、3.長い音符(=不得意三要素)を採用しているアマリッリとは、対象的な作り。

 

畑中先生のイタリア歌曲集(1)では、この曲の作者はサルヴァトル・ローザ(1615~1673年)。

 

ということは、アマリッリができてから、だいたい50年後の、中期バロックの時代に作られたことになる。

 

特徴としては、アリアなんだけど、オーソドックスなA-B-A形式じゃないこと。

 

その結果、全体がちんまり、まとまっている。

 

でも、この曲の場合は、それが、かえって効果的に機能しているとおもう。

 

ひとを愛するものの、ひたむきさ。

 

素朴で、偽りのない心情が、しみじみと伝わってくるよう。 

 

歌詞の内容も、いたって簡潔。

 

日本語で、その意味だけを追うと、あたり前すぎて、詞と言うよりは、ひとつのセンテンスみたいにおもえてしまう。

 

このシンプルさは、ヘンデルのオンブラマイフに匹敵している。

 

ただし、一方が、広がりのある〈世界観〉の表現であるのに対して、

 

一方は、凝縮された〈個人観〉の違いがあるけど。

 

原詩〉

Star vicino al bell’idor che s’ama, è il più vago diletto d’amor!
Star lontan da colei che si brama,è d’amor il più mesto dolor!

 

〈日本語訳〉

愛する美しい偶像の側にいること、それは一番すばらしい愛の歓びである。
恋焦がれる女から遠く離れていること、それは最もつらい愛の苦しみである。

 

それにしても、ルネッサンス最後期のマドリガーレとは、こんなに歌い心地が違うんだ、ともおもう。

 

その秘密を探るため、早速、この曲のことを、調べてみるとに。

 

すると、あらら。

 

最近になって、本当の作者は、サルヴァトル・ローズじゃなくて、ルイージ・マンチャだってことが、わかったんだって。

 

このルイージの生まれは、1658年ごろで、1708年に、没しているから、

 

それでも、この曲が、バロック期に作られたことには、変わりない。

 

せっかくだから、まずは、元作者だった、サルヴァトルのことについて。

 

このひとは、非常に多才な人物だったらしい。

 

ある時は画家、ある時は版画家、またある時は詩人として活躍、

 

その他にも、音楽を奏でたり、役者を演じたり。

 

今でいう、典型的なマルチタレントのひと。

 

とくに、画家としては、名声を博していて、ロンドン、ウィーンなど、世界が誇る屈指のコレクションにも収集されているほど。

 

とかく、いろいろできるひとに有りがちな、〈アブハチ捕らず〉、で終わってないところがスゴい。

 

ただ、この人の人生は、かなり数奇なものだったよう。

 

生まれはナポリ近郊の、アレネッラ。

 

二十歳のときに、ローマに上京それから、フィレンツェに行き、

 

その後、ナポリやローマを行ったり来たり。

 

最期は、ローマで起きた暴動に巻き込まれて落命することに。

 

当時は、旅芸人に身を隠した、スパイや盗賊なんかもいたらしいけど

 

この人も、ひょっとしたら、芸術家以外に、そんな裏の顔があったんじゃないか、などと、邪推のひとつも、してみたくなる。

 

かたや、本当の作者、ルイージのほう。

 

このひとのことも、あまり良く、分かっていないらしい。

 

ポートレートすら残っていないみたい。

 

はっきりしているのは、1687年、ハノーファー選帝侯の王室に入ってからのこと。

 

そこで、最初のオペラ、〈Paride de Ida〉を執筆した記録が残っている。

 

そのころのハノーファーは、初代選帝侯、エルンスト・アウグストの治世。

 

エルンスト公は、ヴェネツィアオペラの有力パトロンに名を連ねていて

 

自分の領地に、イタリア音楽の導入を図るため、盛んに、音楽家や歌手たちを招聘していた。

 

ルイージも、その中のひとりとして、ハノーファーにやってきた。

 

1689年には、ライネ城の拡張に伴ってオペラ座が完成。

 

ルイージの作品も、その新築されるオペラ座のために準備されたのだろう。

 

それから7~8年を、ハノーファーで過ごした後は、イタリアに戻って、ローマやナポリで活躍、

 

それから、またドイツに戻ったり、イギリスに行ったりを繰り返しすのだけど、

 

彼の場合は、音楽家〈ひとすじ〉の生き方。

 

そして、1708年、イタリアのブレジアにて永眠。

 

生涯において、残したオペラは、全部で8作。

 

現在では、そのほとんどが、演奏されることがないようだけど、

 

エルンスト・アウグストの王室を皮切りとして、ヨーロッパ各地を巡り、絶えることなく職を得ることができたのだから、

 

音楽家としては、かなり成功したひとだといえるのでは。

 

では、Star Vicinoは、そんな彼の活動の、いつごろ作成されたものなのだろう。

 

この曲は、オペラ〈Il re infante〉(幼き王)の中にあるアリアであることが知られている。

 

このIl re infanteは、M.Noris作詞による三幕形式。

 

1696年に、ローマにて初演。

 

したがい、ハノーファーを離れた直後に、作られたことになる。

 

残念ながら、どう調べても、分かったのはそこまで。

 

一方、イタリア古典歌曲としてのStar Vicinoについては、


中巻寛子さんの、「イタリア古典歌曲」研究序論に説明がある。

 

まず、第一に、長きに亘り、作者が誤認されていた経緯はというと、

 

チャールズ・バニーという、イギリス人音楽家が介在していたことが判明。

 

1770年、彼がイタリアを旅行をした際に、サルヴァトルの子孫という人物に会うことに。

 

そして、その人物から、一冊の楽譜帳を譲り受ける。

 

後年になり、チャールズは、自らの著書「音楽史」において、

 

その楽譜帳にあるいくつかのものを、サルヴァトルの作品として紹介。

 

それが、チャールズの早とちりだったのか、はたまた、サルヴァトルの子孫とかいう人物が、とんだ食わせ物だったのかは不明だけど、

      

この「音楽史」の記載が根拠となって、Star vicinoはサルヴァトルの作品とみなされるようになってしまう

何だか、まるで一冊の楽譜帳がもたらした、〈イタリア古典歌曲ミステリー事件簿〉のよう。

 

さらに、この事件において悪質なのは、原形を留めていないほどに原作を変えてしまっていること。

 

以下に、中巻さんのご説明を再び引用。

 

〈オリジナルはダ・カーポ・アリアであったが、現在はそのA部分のみを2回繰り返す有節歌曲として広まっている〉、、、

 

ルイージの作ったものは、オーソドックスなA-B-A形式だったのに、

 

その一部のA部だけ切り取られている!

 

これは、盗用にとどまらず、バラバラ切断事件の様相をしめしているではないか。

 

これは、チャールズが全曲を引用しなかったことによるのか、もとの音楽帳に不備があったのか?

 

さらに、中巻さんのご説明は以下のように続く。

 

〈歌詞に関しては、第2節の歌調は19世紀の詩人によって新たに創作され、付加されたものなのである。〉

 

〈よって、この曲は、マンチャのアリアを編曲したというよりは、むしろ、その一部を素材をとして新たに作曲された、19世紀の歌曲と考える方が適当であると言えるだろう。〉

 

要するに、この事件の実態は、サルヴァトルの子孫 → チャールズ・バニー → 19世紀の詩人たちによる、世紀をまたがった共同正犯のようなもの。

 

かくして、ルイージのオリジナルは、本人の意図しなかった〈別物〉として、現代に伝えられることになった。

 

Youtubeで実際の演奏を聞くと、「イタリア歌曲集」に編集されているものとは異なるメロディで歌われていることがあるのだけど、

 

これらの経緯を知れば、何だか、それも些細なことのようにおもえてしまう。

 

でも、ヤッパリね。

 

この曲とアマリッリの作成年が、50年程度の違いだとしたら、その音楽性に違いがあり過ぎるもの。

 

しかし、他方において、この曲が現在にいたるまで伝えられてきたのも、19世紀のリメイクのお陰。

 

いや、いや、そればかりじゃない。

 

たとえ、それが〈まがいもの〉であったとしても、1770年の楽譜帳に、この曲の原形があったからこそ。

 

なにせ、その時点で、Il re ifanteの発表から、既に一世紀が過ぎているのだから。

 

それが、どんな形であるにせよ、ひとびとの感性という〈ふるい〉にかけられ、その結果として、後世に伝えられたはず。

 

さらに19世紀のひとびとの共感に触れ、時代のティストにあった音楽にへと作り替えられてきた。

 

原形と異なるものに、変えられているとしても、それが、ルイージが蒔いた種であることには疑いがない。


その種は、時代時代のエキスを得て、小粒だけど甘美な果実に結実した。

 

21世紀に暮らす、ひとりの歌い手としては、 


思わず口に出して、気軽に歌ってみたくなる、愛唱曲を得たことは、何と幸せなことだろう