Caro mio ben


自選イタリア歌曲(1)で、No.1にランクインした、Caro mio ben。

 

この曲との出会いは、高校三年の時の音楽の授業。


それ以来、合唱でうたったり、声楽のレッスンでうたったり。

 

だけど、ランキング作成にあたっては、大いに迷った。

 

ヘンデルのLascia  ch'io piangaは、聞くたびに泣けるほど美しい、名曲中の名曲。

      

結局、初心者テナーが選らぶ歌いたい曲ベスト10、という趣旨からは、Caro mio benの方が相応しいということにした。

 

実は、この曲には、女声による良い演奏が多くある。

 

声は美しいし、うたも上手いし、曲想を豊かに歌い上げている。

 

だけど、ソブラノによる演奏には「神に捧げる女の操」、みたいな神聖さを感じてしまう。

 

どこか、宗教曲のようだ。

 

それが悪いとは言わないまでも、少々きれい過ぎるようにおもう。


なぜならば、この歌は、男が女のことを思ってうたう歌だからだ。

 

より身近な人間臭さとか、世俗っぽさがあって欲しい。

 

その点、同じ女声でもメゾソプラノの演奏は、男の不器用さに対する、女性の慈愛や許諾といった優しさが溢れているように聞こえる。

 

歌い手は、単に女性からの思いに置き換えて歌っているだけなのかもしれないけど。

 

もともとの意味はともかくとして、この曲には、女心も深く表現できる一面も備えているからだとおもう。

 

一方、バリトンが歌うCaro mio benもある。

 

イタリア歌曲集には、高声用と中声用があり、キーはFとEs-durに設定されている。

 

さらに低声用(Des)の楽譜にも存在することも知った。

 

バリトンの演奏を聞くと、若かりし頃の恋心を、思い出し語っているような、しみじみ感がある。

 

主観ではなく、客観的に男心の軌跡をたどっているような。

 

年配者が、昔を振り返りながら、若ものに教え諭しているような。

 

Student Princeの、”Golden Days"のような。

 

これは、これで深い味わいがある。

 

では、テナーが歌うとどのように聞こえるのか?

 

若さ故の未熟さ、青臭い純真さ、それが故のやるせなさなど。

 

冒頭の4小節の中で、すでに葛藤する男心が凝縮されたように聞こえてくる。

 

これらの心の動きは、男ならでは。

 

ババロティの演奏では、それらが随所にほとばしり出ていて、共感を持たずにはいられない。

 

あんな風には絶対歌えないけど、自分が表現したいものも同じだ、とおもえる。

 

この歌の作曲者は、T.ジョルダーニ。

 

イタリア、ナポリ出身の作曲家(1730-1806)。

 

なのに、生涯の殆んどをロンドンで暮らし、数多くの声楽曲や器楽曲を発表した。

 

Wikipediaの解説によれば、本当の作曲者がだれなのか、一時混乱した経緯があるらしい。

 

一部の楽譜や歌曲集などでは、作曲者をJ.ジョルダーニ(1751-98)と紹介しているが、後年になってそれは誤りであることが分かったのだそうだ。

 

実は、TとJのジョルダーニさんは兄弟だったとの説もあるようだ。

 

だけど歌う側にしてみれば、作曲者がだれであれ、版権がどうであれ、今の楽譜に書かれているCaro mio benを歌うだけ。

 

どんな経緯があったかについては、さほどの興味がある話ではない。

 

Caro mio ben, credimi almen,
senza di te, languisce il cor.
Il tuo fedel, sospira ognor.
Cessa, crudel, tanto rigor!


《日本語約》


愛しい女よ、信じておくれ


あなたに会えず、恋焦がれる日々を送っている


あなたに忠実な男は、ため息ばかりついている


だから、どうかつれなくしないでおくれ

 

日本語に訳した歌詞は、正直あまり好きではない。


これの一字一句を念頭に入れては、女々しくてあまり歌う気にはなれないとおもう。

 

歌詞全体の意味を理解して、あとはイタリア語で、その語感の美しさを楽しんだほうが良いとおもう。

 

曲自体は、一度聞いたら覚えられるほど明確な旋律だし、4拍子系のリズム進行で歌いやすい。


200年も前の音楽とは思えない、新しさがあるからだろう。


画像:フィレンツェ